2016年02月17日

密度が濃すぎるタイムライン

ダメダメダメ、1ツイートに140文字ぎっちり入れてそれを毎度のようにツイートするのは駄目だって!
Tyousen121です。 一応自主規制で120文字を超えるものがいくつもあったので、ブログでやることにしました。
……と言ってもやってることはツイッターのタイムラインと似てるけどね。

記事を見る前に軽いダイジェスト。

・今回の密度が高すぎるツイートは「卒業研究」によるもの
具体的には「卒業研究のプレゼン」によるのが大きな話題。
どの学校でもプレゼンは行うようにはなっているが、今回のプレゼンは「抽象的なものじゃないとマズイ」というものだったということ。

・抽象的な理由は「卒業研究の活動」そのものが問題だった
在籍している学校のルールで、卒業研究には予選と決勝というのが存在している。
ここで言う予選とは、全校生徒の前で発表する決勝発表に行くための審査ということである。
基本的に卒業研究の方針は決勝に行くために死ぬ気で頑張れ、ということだ。

……しかし私のグループでは「全校生徒の前で発表したくない、だるいし面倒だ」という思想で統一。
建前上は「同じクラスのグループだけで占領は出来ない」や、「学校の嫌われ者が前に出ても良いのか」ということで、
本来の卒業研究とは真逆で、しかもずる賢い「合格点予選落ち」という目標を立てたのである。


☆たぶんこっからが本編……かな?
・合格点を取る、しかし予選に落ちるためには……
これまでの卒業研究の発表を見る限りでは、予選落ちをするグループは「発表がしっかりしていなかった」というのが共通して見られた。
ただしこれは予選落ちでの観点であって、合格点を取ったグループかどうかは不明だった。
そこで独自に卒業研究の予選後の結果等を調査した結果、不合格点を取るグループは「作品も発表も駄目だった」というのに行きつき、
逆に合格点だけども予選落ちするグループは「発表は駄目でも作品は良かった」というので共通していることが判明した。

所属するグループメンバーも基本的に前に立つような人間でも無ければ、プレゼン力にも乏しいメンバーだけだったため、
今回の「合格点予選落ち」をするにはうってつけだった。 プレゼン力がなくとも、作品を開発する能力はピカイチだったのである。

・ところが作品開発にも問題があった
いざプレゼンを作ろうとなると、それらの情報を入れなければならない。
しかし作品を開発する過程でも通常の卒業研究からは信じられないような問題が存在していた。
具体的に言うと……

1.そもそも卒業研究にやる気がなかったので、何らかのきっかけが無ければほとんど遊んでいた
YouTube、Flashゲーム、Wikipedia……。 私は普通のネットサーフィンだったが、作業はしてない時はそうなる。
実際作品を開発するときはしっかりと開発はしたのだが、感覚として3:7の比率で遊びが7というとんでもない状態だった。
このため「スケジュールに追われる」というのは嘘になる可能性があった。
(後で見つかったバグについても応急処置で改善したため、別に大した問題でもなかったという)

2.スケジュール、計画、要件定義? 何それな状態
本来のソフトウェア開発では考えられない、スケジュールも計画も未定で触って思いついたら作るというものだった。
当然ながら要件定義というのはソフトウェア開発が終わってからやり始めたようなものになっている。
このためプレゼンではスケジュールに関することは一切書いていないのである。

3.「グループワーク」というのではなく、「卒業するためのグループ」なだけだった
本来グループワークは会話等をしてよりクオリティをアップさせなければならない。
しかしグループメンバー全員がコミュ障、しかも出席率が2名ほど悪いという悲惨な状況だった。

このためグループ同士での情報共有もほとんどなされていないは当然、
プレゼンについてはメンバーに丸投げすることで通過するという方針へと変更した。
結果的にこれが問題となり、全ての技術面を伝えることが出来ないというアクシデントが発生している。

一応状況を改善しようかと考えたが、「なんとかなるやろ」という危機感すらなかったこともあったので、
それらは諦めて、とりあえず適当に作ることで話を収めた。

・個人的にプレゼンのスタイルを一人に任せていたのが問題だった?
別に丸投げという観点ではなく、合格点を稼ぐための策である。 これはガチの話。
私が前に立って話せるわけでも無ければ、もう一人の発表にも不安定要素が多いためである。
後ろに引っ込むのは自分を出していないのではなく、減点されたくないから。
(出なければ加点はないけども「減点のリスクは減る」というリスクマネジメントによるもの)
考えの中には「発表そのものには出ない」というのもあったが、メンバー数の問題で無理な話だった。

・担当する教師の伝える情報も不足しすぎ
予選終了後、見事に「合格点予選落ち」の報は受けたものの、担当教師から「個人的な再発表要求」があった。
この時に「プレゼンに技術的な情報があまりなかった」としか言われていない。

グループはそれらの情報を追加すれば良い、と判断したのでもちろんそれを追加した。それだけである。
しかし追加したにも関わらず「進化がないね」と言われ、なんとここで「どのような技術を伝えたいのか」というのを言われた。
一番に言うのは「抽象的すぎて、何を伝えたいのか分からない」だった。

実はこれブーメランである。
グループに対しては「技術的な情報を追加しておいて」としか言われていないので、その情報を追加した。
ただしどの部分まで掘り下げるのか、というのは一切言われていないのである。

担当の教師はクラスメートとは2年ほど一緒であり、しかも担任である。
このことを想定し、しかも最悪の状況を防ぐということは非常に容易。
言われたことしかしないグループに対しては、
「これが出来ますよというのを入れるべきだ」とはっきりと伝えるべきだったのである。
(「言われたことしかしない人間」の改善はかなり厳しすぎるということ)

抽象的なことしか言われていないのだから、抽象的に書く。
余計なことを言って炎上しまくった私はそうする。 過去にそういう経験をしていれはしているほどそれが分かるのだから。

……そのことを言っておくべきだったが、多分聞き入れてもらえないという。
それは過去の話だ、と言っても実は1年ほど前にもあって頻度としては比較的高いということも証明されているのだが。

・そもそもプレゼンをする必要があったか
プレゼンにおいて二度もミスしたのが「音」の問題である。
一回目ではそもそも機材の使用方法も理解してなかったために、思わぬ減点があったという。
しかし二回目では別な問題で音が出なかった。
同じトラブルが二度も発生するのは単に「準備不足」と言われたが、果たしてそうだろうか。

実際のプレゼンにおいては、機材というのはグループメンバー自身が用意するもので、
(別にその都度お金を払うのではなく、会社にある機材を利用するという意味。 レンタルということね。)
卒業研究のプレゼンでは機材のセッティングの半数以上が教師によるものだったのである。
セッティングの内容も分からない生徒に対して、それを使いきれというのは少々酷な話だと思う。

ミスを起こさないというのであれば、自分で用意したノートPCをプロジェクターに接続するということをするはず。
というのも用意したノートPC上であれば、少なくともハードウェア上のトラブルは防げる。

緊急プランとしてプレゼンそのものを取りやめて、質疑応答以外は全て動画にして発表することすら考えていた。
これは前に出て発表ができないメンバーにとっての救世主であり、これを使うことで合格点に高めることはあったのである。
しかし予選でそれをすると間違いなく決勝進出の候補に選ばれるため、あくまでも緊急プランだった。
(これをすることで質疑応答以外は全てミスが無くなるため、トラブルの発生が事実上消えるためである)

またプレゼンのスタイルも一人に発表するのではなく、三人で分担することも考えた。
例年の卒業研究では全員が発表するというのも珍しくは無く、それぞれで個性を出しても問題はないだろうとも考えた。
しかしこれは統一感の無さのリスク、そして前述した「発表者として相応しいか」という観点から無しの方向となった。
またわざとミスることで「合格点予選落ち」もできるが、連帯責任の問題で雰囲気が悪くなるということも考慮した結果である。

・何故ここまでして楽をしたいのか
それまでのグループワークは私一人による実質的なワンマンチームだったから。
というか「私が発表するのは悪夢、他に任せなければならなかった」が実証されたのもある。
卒業研究の前哨戦のグループワークでは私はリーダーではなく、後ろで待機するような立場を取った。

すると以前のワンマンチーム体制と比べてそのグループワークにしたおかげでより多くの点数が稼げたため、
卒業研究でも同様のグループワークで臨めば、リスク無くして合格出来ると考えたのである。
良い体制でリスクも無いなら変えるリスクを取るのはバカバカしいでしょ。

・向こうの言い分が正しいのかもしれないが……?
色々と検証すると、教師側の言い分も間違いとはいえない。
しかしここまで話をしておいてではあるが、その指導方法にはかなりの疑問を抱いている。
特に「話し方」についてはどうもおかしな所が多すぎる。

ましてや今回の担当の教師はもはやパワハラと言ってもいいぐらいの「過剰な期待」を寄せすぎているのである。
なしてここまでして期待されるのか意味が分からないので、何度となく「期待するな」と述べている。
しかしそれらを全て無視したので、今回の卒業研究はそれを見事に証明したと言える。

そもそも教師側の要求が「ここまでのライン以上を作れよ」というので既におかしいのである。
どのグループにも「ラインはクリアしない、どこまでやれるのか」という観点から見るべきではないだろうか。
少なくとも「期待外れ」という感想を持たないのは、そういう所から来ている。

ちなみに作品に関しての出来について特にケチを付けるところはなく、逆にプレゼンにしか問題がなかった。
卒業研究前にプレゼン力の無さを示唆するような現象やそれを証明する成績は見てきたはずなので、
早々に見つけてせめてプレゼンのプだけでも教えるということは必要だったのでは。

・プレゼンの発表環境はおかしい
企業向けのプレゼンでは笑いなしのガチプレゼンとは個人的に思っているが、それでも発表しやすい環境は作られている。
それはプレゼンを見て、その企業と取引をしようかどうかを決めるためというビジネス的な意味があるからである。

しかし私の学校における卒業研究の発表環境は明らかにおかしい。
というかオーディエンスが端から期待していないのが大きい。
実際オーディエンス側は興味を持って発表を聞くのは半数も行っているのか、と聞きたいぐらいだ。

興味を持つならこちらも全力でやるが、持たないのが多いなら別にやらなくても良いだろう。
持たせたとしてもその人にとっては無意味だろうし、無用な情報でもある。
もし興味を持たせて有意味だとしたら、それは統計学上における「極めて稀な存在」と呼ばれる。
物事を大局的に考えると、こういう風にしか見えないのである。

・ひょっとしたら私以外のグループメンバーにもなにか問題が
あまり言いたくはないのだが、実はグループメンバーにも問題は起きていた。
出席率の低いメンバーは発表の安定性は高かったが、それ以外のことにはほとんどノータッチだった。
一方の出席率は高いけどもおそらく精神病を患っているとされるメンバーは、
発表の安定性も低く尚且つ技術的な点や準備についてはノータッチだった。

私はあくまでも「プレゼンにおける最低準備はもうしてあるだろう」ということで向こうに一任した。
音についてのトラブルも、技術的な情報についてのプレゼン情報も大丈夫だろう、と。

しかし現実はそうではなく、プレゼンの準備もしていなければ、
技術的な情報でジョークとして書いたものがそのまま使われているという状況だったのである。
一応「修正は絶対に必要だ」ということを意思表示するため、わざわざ落書きもしていた。
が、彼らはそれをせずにそのまま表示しようとしていたのである。

前述したプレゼンのプすら到達していなかった可能性もあったのかもしれない。

・完璧さを求めるのであれば、全て私が用意しておくべきかもしれなかった?
そういうわけにはいかん。 そうなると残りのメンバーは私ありきのチームで、意味がなくなる。

本気を出す必要は無いと判断したのは少々無理があったが、
もし不合格であればプレゼンについても1から作りなおして台本も用意することも一応可能だった。
時間もある程度はあったので用意することも容易だったけども、再発表含めてそこまでやる必要はないと見なした。
(このあたりは本来はやっちゃいけません。 良い子はちゃんと「カンペ」ぐらいは持っておきましょう)
ちなみにカンペについては想定される質問内容も全て含めているので大丈夫な仕様にする予定だった。

発表の練習も公式練習"以外"でも行っておくべきだったが、練習場がどこにも無かったのと、
グループメンバーだけで練習した所で意味があるかという問題で一切していない。
教師側から「練習場はある」と言われても、それが良い練習場かどうか、そして練習になるかは別問題になる。
(つまり「ちゃんとした練習ができる場所」がどこにもなかった、と言うべきである)
一応やる気があればどこかの家に集まって練習するということも出来たのだが、
発表でもしっかりしすぎると予選通過になる、ましてやバイトの関係で練習できないの理由もあってしなかった。

こっちも練習するなら練習する意思はあったが、メンバー側が練習する意思が無かったように見えたので提言しなかった。
まぁ、提言した所で「その場のノリでなんとかなるやろ」と言われるので意味もないのだが。


以上が今回の卒業研究の真相である。 まとめて言えば……、

・私のグループは「決勝進出」ではなく「合格点予選落ち」を目標にしていた(低いモチベ)
・プレゼンよりも作品を重視し、任せる所は全て任せる(丸投げ)
・せいぜい作業は本気を出せば一週間程度しかかからない(コピペとノー自作、楽したいの方針)
・予選落ちのための「プレゼン準備」を不足"させる"(情報の抽象化)
・更にプレゼンの練習をしない(「その場しのぎ」で合格点はもらえるという楽観視)
・このブログの記事を見ても分かるように、余計な事を言わないように後ろで引っ込む(ノー発言の判断)

ということになる。
とてもじゃないが自慢できないどころか、自虐でもネタにもならないものである。
posted by Tyousen121 at 23:41| 大分 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 単なる日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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